入沢康夫(「現在詩」の始まり)/岡部淳太郎
は物語でもメッセージでもなく、一種の記号のようなものではないかという、そんな思いが頭の隅をかすめるだけだ。
こうした読み解くのに骨が折れる詩を量産した後、八〇年代以降の入沢康夫は、やや私的な方向に言葉をシフトさせているように見える。それでも、言葉によってまがいものの詩をつくりあげてきたこの詩人のことであるから、それは一面に私的なものになっているわけではなく、『死者たちの群がる風景』(一九八二年)や『漂ふ舟』(一九九四年)のように、ひとつの仮構された物語の中に私的なものがまぎれこむといったものになっている。語り口は自然に、よりソフトになったものの、まだまだまがいものの言葉をつくりあげようという意
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