入沢康夫(「現在詩」の始まり)/岡部淳太郎
 
では、一篇の詩を手がかりにして、その詩を元にした(あるいはその詩の元となった)いくつものヴァリアントを提示してみせ、「詩集」という書物の概念でさえも揺さぶってみせた(私見だが、こうした方式は、音楽でいえばシングル盤に同じ曲の異なったリミックスが収められているのを連想させる。七〇年代の時点で言葉だけでそれをやってのけたことは驚嘆に値することだと思う)。『牛の首のある三十の情景』(一九七九年)は、何度読み返してもわからない難解な詩集だが、そのわけのわからなさは「わが出雲」の時と同じように肌でそのすごさを実感することにつながっている。一種の迷宮、「わが出雲」のそれよりもさらに暗い、不気味な迷宮のような趣
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