詩作における女性優位についての雑感/恋月 ぴの
 
何かと問われれば、現代の都市空間において花鳥風月は、最早対象とは成り得ず、それは?肉体そのものの存在?だけではないでしょうか。(都市空間においては自立した存在としての花鳥風月を詩に関わるものが日常的に認識する事は不可能に近いでしょう)

この事が「女性の詩が正に生き生きとして心の琴線に触れる理由」だと考えます。肉体なるものを?媒体のしての目に見えるもの?とした場合、観念を拠り所として存在する男性より実存する存在としての女性(受胎→出産という生命に関わる者としての確かな存在)の強みが顕れてくるのです。つまり、?目に見えぬもの?を?確かに存在するものとしての肉体?を媒体として紡ぎ出された詩の前では
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