詩作における女性優位についての雑感/恋月 ぴの
 
では?目に見えぬもの?を?観念的な存在としての肉体?を媒体として紡ぎ出された男性の詩が抽象的な言葉遊びに成り果てるのは当然の帰結なのです。

まあ、この辺は伊藤比呂美や白石かずこを代表とする女流詩人の作品に対する書評なりで語りつくされている感もあり、何を今更ってお叱りを頂戴しそうな気もしますが、フォーラムの現況を鑑みて再認識させられた次第です。

最後に男性は如何にして詩を書き綴れるのかについて触れてみます。男性の存在そのものが不確かなものであり、また現代の都市空間そのものが男性的な存在感を排除する構造である以上、タチとしての詩作はかなり困難な状況下にあり、どうしてもウケとしての立場に拠った詩作に成らざるを得ないのかなと考えます。主義思想をモチーフとする事が陳腐な極みに成り果てた現状を憂いても虚しいばかりではありますが。

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