書評: 『ファザー・ファッカー』/内田春菊/mana
「かつてのじぶん」への墓標のように見える。
言いたい。聞いて欲しい。わかって欲しい。吐き出してしまいたい。もう忘れてしまいたい。なかったことに出来るなら、いったいどれだけラクなんだろう?
それでもあえて、マンガという作り物で行く。内田春菊のタイトルのつけ方が僕はわりと好きなので、何冊か彼女の文章も読んだ。悪くない。むしろなかなかいいと思う。でも、それほど鮮明には記憶に残っていない。僕にとっての内田春菊はやはり「マンガ家」だ。それは「マンガ作家」であっても構わない。むしろ「マンガ作家」という表現の方が、なんとなくではあるが適切であるようにも思う。
それは内田に文
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