書評:  『ファザー・ファッカー』/内田春菊/mana
 
はする。


 この「おなかいっぱい」感というのは、それだけこの作品が「書ききっている」ということでもあるし、これは僕だけが感じるものではなく、ある種の感受性を持っている読み手が読むと、やはり「おなかいっぱい」になってしまう本ではないだろうか?


 「お涙頂戴で終らない、不幸を笑いへと転換しているところが素晴らしい」というような、書評をかつて見たような気もするけど、僕にはあまりそういう風には思えなかった。


 どういう見せ方をしようとも、痛いものは痛い。


 内田春菊の『ファザー・ファッカー』は、僕にはスピルバーグの『シンドラーのリスト』みたいな感じがする。どっ
[次のページ]
戻る   Point(1)