散文詩に梱包されて/岡部淳太郎
 

 高い塀とは、即ち、その私と犬を区別するものであり、同時に、区別そのものなのだ。たとえば、私と犬が、共にその塀を超えたところで、それは、両者が、私でも無ければ、犬でも無くなることに過ぎない。途方もなく、高い、もう一つの塀を必要とする結果となるのだ。
 高い塀が、一つの高い塀であると同時に、無数の高い塀であり、日々であり、絶望であり、私たちの斑らの喜劇である理由である。
(或いは、さらに、もう一匹の巨大な犬を招く理由である。)
 曇天のような生涯、生涯のような曇天、それにしても、刑罰は、何故、私に与えられたか。この刑罰の完成するのは、その永遠の疑問を残して、私の顔をした犬が、犬の顔をした
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