自己の言語回路からの自由へー九鬼周造著『日本詩の押韻』私解ー/狸亭
 
人たちへ」に従って敢えて読みたい本文を飛ばし「後置
きの序説−定型忌避の生まれる場所」を読んだ結果であった。
 
詩の内容と形式については、もちろん自分なりには考えていたし、さまざまの場で、学
び且つ議論もして来たが、現代詩においては自由詩であることは自明であった。ポエジー
とポエムの関係はかぎりなく自由であるべきと考えていた。しかしかぎりなく自由であり
すぎたのだ。若い時朔太郎の『詩の原理』に熱中したことを思い出した。何か「原理」が
欲しい。「詩は詩でなければならない」と思った。何を今更、と人は笑うだろう。多くの
詩人たちが多様なスタイルの詩型を持ち、自己の内部に独自の回路を完
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