自己の言語回路からの自由へー九鬼周造著『日本詩の押韻』私解ー/狸亭
 
て梅本健三や飯
島耕一をも含めた『中庭』の諸作品について、いずれもその実作の大半は試作の域を越え
てはいないのが現実の姿であり、成功作は極めて少ないと言える。無理もないではないか。
日本の現代詩の圧倒的多数の裾野に比べてみれば自明のことだ。俗に俳句人口三〇〇万人、
短歌三〇万人、現代詩三万人と聞いているが、『中庭』の中心になる詩人は創刊当時の四
人しかいない。言わば少数民族である。意気や壮とすべきであり、多数を頼んで抹殺ある
いは無視を決め込むのは、激動する世界の中でなまぬるい平和にどっぷり漬かっているど
こかの国民と変わらない。
 私たちは現代という時代から逃れることは出来ない。
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