かくかくしかしか/書く掻く詩か死か --詩と詩人についての雑文/岡村明子
 
ということである。桜が咲くということがらは例えばお天気キャスターにとって「桜が咲く」という以上の意味を持たないのだが、詩において「桜」という語が選択されたときその語に単にバラ科の植物という意味だけを込めたとは考えにくい。その詩に「桜」がある必然性は季節とは関係がなく、詩人の目がそれを見ていたかどうか、ということだけにゆだねられる。詩人でなくとも私たちは世界を言葉の差異の網目によって認識していると思われるのだが、意味するものと意味されるものの間にゆらぎが生じるのが詩人の言葉であろうかと思う。少々暴論だがメタファーとはそのようなところに成り立つのではないかと私は考えている。世界を認識するための言葉を自
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