いっしょに食べませんか?/クリ
 
事実」と「真実」の捉え方の相違にも似ている。しかし突き詰めると宗教では事実と真実は大きな違いはない。
どのように解釈しようとも聖餐が信者に与えるものは同じなのだ。だからそこに大きな軋轢はない。
それよりも「いっしょに食事をすること」があまり議論されることがないのが、僕には常々疑問だった。
新約聖書では他にも、数千人がわずかのパンを分け合う場面などが出てくる。
少なくとも原始キリスト教徒には、食事を共にすることは大きな意義があった、と思う。

英語で「仲間」を何と言うか。そう、"company"だ。この言葉はラテン語の"companios"に由来す
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