書く動力 6/Dr.Jaco
しれない。
言葉を発するということが、某かの関係を発するということと同義ならば、そして誰
かが発した言葉を受け入れることが受け入れた言葉のイメージを発するということと
同義ならば、結局は全部発しているのである。ここにいる私が全てである。
それで終わらない。
鮮明にものを考えれば考えるほど、世界の中心が自分であるのに、自分が世界の歯車
の一つと思えるようになるのはなぜなのだろうか。皮膚から内と、皮膚から外を接合
しているこの私の皮膚という境界は何なのだろうか。
境界に居て、境界を渡してくれるのが「言葉さん」だと思った。
物理の教科書のように、関係は運動へと展開す
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