三木卓『わが青春の詩人たち』書評/佐々宝砂
績には触れず、詩人たちに対して感じた畏怖や自分の生活の不安や羞恥を、さらけだすでなく、隠すでなく、語ってゆく。
登場してくる詩人たちは数多い。全部で何人いるのだろうと数えてみようとして、やめた。詩人を数にするなんて野暮だし失礼だ。そんな風に思わせる本だ。ほんのわずかしか登場しない詩人も、名前に過ぎないのではなく、詩の作者としてだけ登場するのでもなく、確かに血肉を持った人間なのだと感じられる。しかし、詩人たちが等身大に描かれているとは思わない。三木卓は、あくまで自分自身の目に触れた詩人たちの顔を描いている。たとえば、金子光晴は「恐ろしい」と書かれている(ついでに言うと、当たり前だが私にも金
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