全てのひとは倖せになるべきだ/百(ももと読みます)
 
 ぼくのなかで泣き晒す想いが浄化されてゆく。働いているひとのいうお金の概念と障がい者の考えるそれらの価値観の相違について考える機会を得た。

 険しい想いで害をなす言葉を用いてお金と説く精神性の悪意を症状とするならば、資本主義への貢献をすることで病気の誘発を適えているようなものだ。

 自己の体たらくを説明するにあたり、数日後に再会する友人より,「戸塚ヨットスクールみたいに死ねばいい」というメッセージが返信された。

 一時的に愚かな痛みがむねに芽生え、かつ、友人の言葉にたいする不憫さが心配となったが、ふと清々しい気持ちのよさがまわってきた。



 ぼくはまだ未熟なので、か
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