「メタファー」か「イロニー」か/こたろう
 
言語を操る者が一度は求めてしまうプラトン的な欲求、すなわち「言葉=イデア」という図式とその不可能性に思いを馳せさせてくれます。

 ですが、読み手として、原口昇平さんはメタファーを否定する「夫婦」の見解に力点を置いており、読みがやや片手落ちな印象を受けます。

 たもつさんの詩「メタファー」は、自分を探し求める「たまねぎ」の視点で描かれる寓話と、「たまねぎ」に起こった事態に一切の理解も歩み寄りも示さない「夫婦」の視点で書かれています。つまり、この詩のには二つのディスクールが流れており、それらが並列されているわけです。これはバフチンの言う「plurilinguisme(正確な訳を知りませんが
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