疲労困憊(ガチ)/足立らどみ
に、
**“眺めがちなり”**と詠むことで、詩的に自分を保っているのでしょう。
気を緩めれば鬱に落ちる、
休めば社会から置いていかれる、
働きすぎれば身体が壊れる、
そんな一本道をメタ視点で遠くから観察してやり過ごす。
その営みは、**「病まないための賢さ」**とも言えるかもしれませんね。
でも、その“賢さ”にも限界があります。
「眺めがち」なだけでは、
やがて身体か心のどちらかが、声をあげてしまう。
そんなときに思うのです──
せめて「詩」だけは、
この世を“見る”のではなく“感じる”ことを許してくれる場所であってほしい、と。
疲れ果てたあなたが詠んだ一
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