クレピュスクルの詩人−「立原道造が求めた形象」展のスケッチ/バンブーブンバ
 
、不協和音を立原とこの言葉に感じていたからだ。夭逝した詩人、そのものが輪郭を失っている。人生とは良くも悪くも輪郭を描いていくことだとすれば、彼は純潔にして輪郭を描かなかった(描けなかった)その人だからだ。立原は一日の間で「クレピュスクル」の時間を愛したという。クレピュスクルとは仏語で「黄昏」をさす。昼間と夜の狭間。外の光と部屋の光が交換する瞬間である。彼の手製の詩集も公刊ではないものばかりで輪郭は脆弱すぎるほどに却って愛おしく映る。輪郭が静の産物であるなら、輪郭を失っている立原は激しく動的な疾走者として迫ってくるだろう。その思いを裏書してくれるようなおぼえ書きに視線は再び繋がれた。

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