書かれざる構造を愛する文学──サガン、モーム、フォースターに通底する“起こらない物語”/大町綾音
が自然にある方向へと流れ込むのを静かに見守っている。そこには作者の感情がなく、構成も抑制され、むしろ一貫して重視されているのは関係性の配置、つまり“出来事を呼び寄せる座標”のようなものである。
たとえばサガン『悲しみよこんにちは』。父と娘の関係、そして恋人たちの微妙な交差は、“誰が誰を裏切ったか”という視点では語りきれない。あの物語は、むしろ「ある選択がなされなかった世界」を描いており、そのことにより、少女の無意識と責任のあいだの宙吊り状態が読者の心を掴む。決定的な出来事があるようで、実はあらかじめ配置された偶然が流れ落ちるのを待っていただけのようでもある。
モームもまた、その語り
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