春の夕立ち/室町 礼
 
が障子を引っ掻いている。
引っ掻けるものがあればわたしだって引っ掻いてみ
たい。なぜ障子が見えないのか? 在るのに見えな
い人たちが詩を書いている。その「つもり」の不思
議。輪切りできないものを大根のように文学批評理
論なるもので切ろうとする人たちがいることの不思
議。五体満足がいいというのではないが「修辞的な
こだわりに差異を見出すことしかできない」ことは
不自由じゃなかろうか。かつての名詩もにわか雨の
しぶきに洗われればその封建性をあらわにすること
もある。
ここからあとはかなり雑になります。

  妻はしきりに河の名をきいた。肌のぬくみを
  引きわけて、わたした
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