かりんとうでも齧りながら  /室町 礼
 
らの声で成り立つこと
はほぼないのです。それと同じで「批評」が外と繋
がらないということは、それはどれほど精緻な理論
でも、内なる、あるいは内輪のただの石ころ、極彩
色の精緻な「玩具」でしかないということです。
そして「批評」が「批評」であるために"外とつなが
る"には外部世界の認識を絶えず更新していかなけれ
ばならないのに、
残念ながら今の文学全体が党派性に支配されており、
芸術が芸術として評価されないで一面的な党派性に
よって評価されている情況がありますから寸毫も新
しい世界観は開かれず「批評」が成り立たないので
す。
当然、詩の賞も小説の賞も脚本
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