古井由吉『招魂としての表現』讀後/?任勇梓 Takatoh Yuji
 
今日、命日つて事はないよね?
私は追悼文を書きたいんぢやないからね

『杳子・妻隠』を讀んだ時には
はゝあ、当時の文藝批評家たちが
新しいタイプの小説家が、つひに!
と総立ちになつたのも無理はないな
さう思つた
内向の世代が傳家の寶刀を拔いた譯で
この内向の世代つて云ふのは
戦時の記憶を断ち切り
またスタイルとしての「私小説」のくびきから解き放たれ
全くそれ迄では考へられなかつた「自己規定」を作り出した
一連の作家たちの総稱
そして今、私がしてゐるのは

故・古井由吉氏の話だ

氏は、一言で云へば(眞實マコトのところ)
含羞の人
であつた
だがそれぢやあ常
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