de verbo ad verbum / nihil interit。 ──大 岡 信論/田中宏輔
 
ております。しかし、言葉の方からすれば、たぶん、一人の芸術家の進歩などには興味はないでしょう。おそらく、ただ自分が再創造されつづけることにしか関心はないでしょう。

 最近、ぼくは、こう考えています。ぼくが経験し、知るのではない。言葉が経験し、知るのである、と。すなわち、言葉が見、言葉が聞き、言葉が触れ、言葉が感じるのである、と。言葉が目を凝らし、耳を澄まし、喜びに打ち震え、悲しみに打ち拉がれるのである、と。なぜなら、ぼくの経験とは、言葉が経めぐったことどもの追体験にしか過ぎないと思われるからです。そして、ぼくが知るのは、言葉が知ってからのことなのだ、と。いくら早くても、せいぜい言葉が知るのと
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