ひだかたけし氏の「熱の同心居」を読む/大町綾音
 
いう視覚に由来する言葉……氏の詩史のなかで、これほどまでに視覚と聴覚とのアンバランスが現れてくるのは、なぜなのでしょうか。わたしは、そこに氏の「性格」「性向」を見てとっても良いように思います。ですが、ここにおける「ヒビキ」と「ヒカリ」とのアンバランスは、そうした解釈を越えるものです。

 この「ヒカリ」という言葉が、詩人において新たな光明をもたらすものであるのかどうか、わたしは自信が持てないでいます。ですが、「ヒカリ」という言葉が氏における「Vision」という言葉の代替として使われるのだと思ったとき、読者はこの詩について読み解く大きなヒントをもらったように思えるのです(氏は、その詩史を始める
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