詩小説『雨の日の猫は眠りたい』その3。+あとがき/たま
 
言えば暗いイメージしかないけれど、母の痴呆は、あしたと、きのうが入れ変わっただけの、幼くてかわいいものだった。
 ひとはいつも夢見て生きている。
 母の夢見るあしたは父と暮らしたきのうなのだ。もういちど父に出会いたいのだろう。父と暮らしたきのうが、途方もなくとおい時空の浅瀬を一巡りして、あしたになると信じているのかもしれない。娘の夢見るあしたさへ、まだ来ないというのに。

 夜勤もあるシフト制の通勤に車は欠かせなかった。その車は私の通勤着とでも呼べる黄色いラパンだ。助手席に母を乗せて、後部座席にはショッピングモールで買い込んだ衣服の春めいた紙袋とか、飲料水のペットボトルや牛乳パック、三日分
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