詩小説『雨の日の猫は眠りたい』その3。+あとがき/たま
 
考えはじめたら赤信号の交差点で立ち止まるひとも、ハンドルを握るひとも、すでに今日という日を見失っている。たぶんひとは、今日という日はなかったことにして、生きているのだとおもう。息をすることを忘れて生きるみたいに、それは、思い悩んではいけないことなのだ。

「テーブルの上に、あした買ってきたりんごを置いてある」と、母は言う。
 今日という日をなくしたひとの、あしたはいつも「きのう」で、きのうはいつかやって来る「あした」だとしたら、今日という日はやっぱし、どこにもないことになる。テーブルの上のりんごは、母だけが見ることのできるあしたのりんごだと、私は知っていても、「かあさん、それ、きのう買ってき
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