詩小説『雨の日の猫は眠りたい』その3。+あとがき/たま
を見ていると、せつじつにそうおもうけれど、もし、わたしの足元に砂がなかったらどうだろうか。素直にいうと海だけだったらつまらない。いまここに立つわたしは魂と語り合いたいからだ。魂は海の向こうの黄泉の国からやって来て、磯辺の砂や玉石に宿るのだという。そのイメージの源は米粒みたいな白い骨なのかもしれない。ビーチの砂には骨になることのせつじつ感が潜んでいる気がする。でも、とまたしてもおもう。
ひとは砂になれない。ひとは塵みにしかならないのだ。
四月生まれのわたしはもうすぐ古希を迎える。おのれの生涯を見渡せる山の頂に立つのだ。見渡せるというのは過去ばかりではなく未来も含んでいるということ。つまり
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