昔の駄文「嫌いなもの」/佐々宝砂
 
ない。私だっていろいろ思想を持っている。主義も宗教も持っている。でもこれを読んでるアナタがジャイナ教徒だとしても、問題はない。紫姑神でもケツァルコアトルでも何でも自由に信じてください。いろんな人がいて、いろんな考えがあるのがよろし。みんなが同じじゃつまらんし、だいいち気色悪い。しかし、そうは思わないひとたちがいる。みんなが同じでないと気が済まないひとたちがいる。それゆえ、思想・主義・宗教の違いが争いのもとになる。要するに、自分とちがう考え理解できない思想を排除しようとして、争いを起こすのだ。差別やいじめと同じ構造である。これこそが、社会的な大きさに広げられた「排他」の最たるものだ。個人のいじめと違
[次のページ]
戻る   Point(2)