verification/ホロウ・シカエルボク
 
がないまま錆びついていき、考えるといえば電算機のような方向のものばかりが残されてしまう、その場所に集まる無数の人間の目つきが、輝きが、寸分の狂いの無い同じ光度によって表現される、そしてそこに居る誰もが、そんな結果についておおむね満足している、なんておぞましい景色だ、と俺は思う、共通概念は大事だ、それは認める、だが、なぜそれだけの価値観に終始してしまうのか?その中で小器用に立ち回り、自分の地位を確立することにいったいどれほどの意味があるのだろうか?でもそんなことに躍起になる自分について誰も疑問に思うことは無いし、誰かがそれについて意見を述べることもあまりない、俺のようなはぐれものを除けばね…まるで国
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