「解放」の淋しい心地良さ/岡部淳太郎
は仕事をする役割を従業員に求める。それはその人本来の性質からすれば多少なりとも歪んだものである。だから、人が何かに縛られている以上、それはその人本来の姿ではなくどこか歪められた姿になってしまわざるをえない。それが果たして自然な姿であろうかというのは大きな疑問だ。
だから一足飛びに結論を言ってしまうならば、そのような自らを規定するものたちから離れて出来うる限りその人自身でいることが、それぞれに求められている。そうすることが自らの歪みを、ひいては社会全体の歪みを正すことにもつながるのではないかという希望を、僕は持ちたいと思っているのだ。それが困難なことであるのは重々承知の上だ。
もちろん自らを
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