手にて 書く 物はない/山田 三四郎
 
も 探している




しかし

手にて 書く 物はない

何を 書いても 空しい




私は 救われないのか?

神仏にではない

「人間」にだ




「私」は また 明日も 考え 書くだろう

それが 「私」が 生きることの 意味だからだ

笑われるのは 承知で書いている

いい歳をして 何を 青白い青年ぶったことを 書いているのだと

軽蔑 される ことも 知っている

だけど 何か 重用な ことが あるような 気がする

「私」の 知らない 重要な ことが あって

考え 書かなければ ならない ことが あるよう
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