静かな時計が刻む時間はいつだって死んでいる気がする/ホロウ・シカエルボク
 
に乱雑に積み上げられては捨てられていく、記憶は消耗品だ、消費した時間でなにが出来たのか考えてみる、でもそんな時間がふいに手に入った時、なにかをしようなんて考えることはない、静かな時計が刻む時間はいつだって死んでいる気がする、目を見開いて、死んだ時間の瞳孔を覗き込む、検死医の気分で、死んだ時間の瞳孔はぐるぐると高速で回転している、おそらくは時間の単位の中で一番短いものを数えているのだ、静かな時計の時は死んでいるが、それは悲しむことがない、なぜなら彼らは生きていた時代のことを知らないからだ、これを無意味な話だと思うか?忘れてはならないものが忘れられていることなんて珍しくない、近頃じゃ人間までもが静かな
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