寺山修司フェア(ハルキ文庫)/藤原 実
であるにすぎなかったのであった。』ということになります。たとえば、
友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買ひ来て妻としたしむ
という歌についても『「友がみなわれよりえらく見ゆる日」でさえも、妻だけは「われよりえらく見えない」ということを、どう受けとったらいいのだろうか?』と問いかけ、『固有の人格としてではなく、悲しい玩具の一つとして妻を扱う啄木』とつめより、なかなか手厳しいのです。
でも、そういう寺山の歌人としての出発はじつは啄木の模倣者としてでした。
さらさらとすくえば砂はこぼれ落ち春のゆうべの飽きし時
というのが寺山
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