詩と体験/藤原 実
 
かにだって詩はあると思う。

詩人にとって、どんな体験だって“コトバ”というひとつのメディアを通過させずには、ひとに伝えることはできないわけですから、その意味ではテレビで見たことであろうが、週刊誌で拾い読みしたことであろうが、詩人がじっさいに体験したことであろうが、「素材」としてなんの優劣もない。

マクルーハン流に『メディアはメッセージである』というのは言いすぎとしても、ある体験なり、感情なりをコトバにするという行為の過程で詩人は世界とじぶんが存在することの意味をコトバに問いかける。詩人はコトバのなかにじぶんを投げ入れることによっていちど死ぬ。そしてコトバのなかで復活する。その行為が詩人
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