詩の日めくり 二〇一九年四月一日─三十一日/田中宏輔
 
れとぎれの光が考えるわたしもまたとぎれとぎれなのだ。
しかし、とぎれとぎれのわたしにも、とぎれることのないわたしがあって
それは、光が純粋に光であるからである。
光は、光以外のなにものでもないからである。
たとえ、流れ去り、つねに別の水となってうねりくねりする波のうえに
気まぐれに反射させられた光であっても、光は純粋に光なのである。
たとえ、月の光、星の光と、発する場所が違っていても
光は純粋に光なのである。
わたしを考える光は、ときに、わたしを別の場所に置く。
わたしを考える光は、ときに、わたしを別の時間に出現させる。
わたしを考える光は、ときに、わたしを
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