だから、まるで魚が水面を跳ねるように/ホロウ・シカエルボク
 
思うくらいだ、目的は初めから一緒だったのかもしれない、目にとめるために、認識するために、幼いころからずっと目を凝らしていたのかもしれない、でも、そうだ、矛盾してしまうかもしれないけれど、それはとりたててこれだと断定出来るような形を持たない、ある種の奇形的な雰囲気、とでも呼ぶしかないものだ、だから、必要以上に見つめることが必要だった、いまとなってはそんな風に思えてくる、それが自分を何処にも連れて行かないものだとは初めから分かっていた、幸せにしたり、不幸に叩き落したり、そういうようなものではないと、だからこそそれは確かなものに思えたのだ、本能に名前は付けられないのだと思う、それは本能が人間よりも先に存
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