隠喩と論理形式/葉leaf
 
いう表現を考えよう。この表現は隠喩であろうか。たとえば毛糸のやわらかさを毛糸の愛と受け止め、そのやわらかさを主体が心から感じつくしている(心から感じつくしているということを「飛ぶ」で表わしていると解釈する)、ということを表しているのだと解釈すれば、それを隠喩と捉えることも可能である。だが、多くの読者は、この表現が、比喩であることをやめてナンセンスなものに近づいていると感じるのではないだろうか。
 次に、「目の唇が穴を殴る」。これを隠喩と捉えることは不可能ではないが、この表現にはもはや美しさが伴っていないし、ナンセンスなものにより近づいたと読者は感じるはずである。このように、「夜を食べる」のような
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