あぶれもの/ホロウ・シカエルボク
まに明らかにした、例えば水が流れるように、朝には陽が、夜には月が空にあるように、あぶれ児はあらゆる時を、どこか現実感を欠いたその時の中を、夢遊病者のようにぼんやりとした目で彷徨い、その足取りが変換される時にだけしっかりとした態度で臨んだ、あぶれ児はやがて年月を経てあぶれものになり、より遠退き、より余計に、より確かに、誤差の中を徘徊した、これなのだ、これなのだと、熟した実を手に取るようにひとつひとつの現象に解釈を添えていった、それは時には同じものにたいして何度も行われ、挙句まるで違うものになるときもあったし、右往左往したのち結局同じところに戻って来る時もあった、あぶれものは気が済むまでそれを繰り返し
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