花束みたいな恋をしたリライト/はだいろ
かれていないところ(いや、描かれてはいるのか。断面的には)
を、見る側の教養や、優しさや、経験や哲学によって、補足されている。
その補足がなければ成り立たないのだとすると、
それはどこかしら、
作品に欠陥があるのだと僕は思う。
欠陥があることがいけないのではないが、欠陥が放置されていることは、
見過ごしてはいけないと思う。
では、どうすればよかったのだろう。
もし、この映画が、そうした断絶をテーマとしているのなら(あくまでも仮定だけれど)
男子の方の、社会との関わり方の描き方が、
どうしても希薄に過ぎる。
彼は、社会の何にぶつかり、何に絶望して、何にねじ曲げられ、
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