ぼくの脳髄はカンシャクのステップを踏む/藤原 実
うに並べはじめる。
詩人がその時めざすのは創造ではなくて再生である。
じぶんとコトバがひとつになるためには、じぶんもコトバも共にみずから解体、自殺して大死一番、甦ろうとするのである。
有り金を残らず「無」に賭けるのである。
じぶんをじぶんでなくすると同時にコトバをコトバでなくするのである。このことはかならず同時に同一の場で行わなければならない。それはじぶんかコトバかという二者択一ではない、絶対矛盾が火花を散らす絶対無の場。そこにのみ絶対の世界は現出する。
コトバだけを解体しようとしても、それは相対的にすぎない。まだ抽象的である。そういう詩の多くは必然を欠いたクリスマスパーティ
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