ぼくの脳髄はカンシャクのステップを踏む/藤原 実
この『無門関』の「無」の論理を出発点にして、「絶対矛盾の自己同一」で知られるみずからの哲学を作りあげた。
さあ、自分の座ったイスを自分自身で持ち上げさせるような問いに答えてみよ、という。
「禅とは何であるか」「ホトケとは何であるか」という問いかけは、じつは「オマエとは何者であるか?さあ、言え言え!」という詰問なのだ、とぼくは思う。
『無門関』を読みながら、ぼくはしばしば「わたしとは他者なのだ」というランボーの有名なコトバを思いうかべていた。ぼくはこのランボーのコトバが、詩人としてのかれのタメイキのように聞こえてしまう。ひとが口を開いてじぶん自身について語り及ぼうとした時、たちまち
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