ぼくの脳髄はカンシャクのステップを踏む/藤原 実
ことを言っていたと思う。ぼくがこれから書こうとすることも、そんなアヤマチかもしれない。しかし、そういう西脇こそ、その手で覆すものをすべて宝石にかえてしまうひとだったのではないか。
「只(た)だ者(こ)の一箇の無字、乃ち宗門の一関なり」
(『無門関』第一則【趙州狗子】)
『無門関』(中国宋代禅宗の公案<禅問答>集)の作者、無門慧開は「無」の一字に禅の究極を見た。かれによれば、この「無」はたんなる「有」に対立するものとしての「無」ではないという。
かれは言う。肯定(相対的有)するか、否定(相対的無)するか、というような二者択一
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