世界と時間に対する一つのアプローチ/朧月夜
 
の椅子だ」という風には、私の目には映りません。強いていえば、そこに何らかの三次元の多様体がある、という感じになります。それがたしかに「椅子」なのか、と聞かれると、私の気持ち的にはかなり心もとないものがあります。このように、私にとって「椅子」というのは何らかの三次元多様体なのですが、そこに時間という要素を含めていくことで、ようやく人間的な意味での「意味」というものを持ち始めます。なぜなら、そこにはその椅子に触れた人たちの感覚や感触が含まれてくるからです。このとき、椅子は三次元の多様体であることを越えて、四次元多様体になっていると言うことが出来るでしょう。やがて、その椅子が壊れてその形を失っても、時間
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