コミュニケーションと詩/朧月夜
 
ションにつながる、ということは必ずしも言えませんが、思い描く相手の形が自分の中で大きな像を持っていればいるほど、彼ら・彼女らに対してかけられる言葉というものも、必然的に多く、多様になるでしょう。
 時に、人は自分にとって不利益になるような者たちとも交流を行わなくてはいけません。その時には、自分自身というものがかき乱されるような感情になるのが、人としての必然です。そのことを、古代の中国人は「騒」と呼んだのかもしれません(この言葉は、屈原という中国戦国時代の詩人の書いた詩集の題名に由来しているそうです)。
 騒がしさをそのまま「騒」として表現することも、その騒がしさを鎮静しようとすることも、ともに
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