善良なる定義に関して/ただのおと
 
だり肩を組んだりすることがなかったのは、そもそも私たちのなかに手や肩をもたない者が身近に存在していることを、みながみな、それぞれの欠陥を通して完璧に熟慮していたからである。
 私たちは、定義を責めなくても済む方法はないかと、あれこれ思案した。転がるものを追うときには、私たちも転がらなければ不平等になってしまう。しかし、上へと転がることが犯罪であるとするならば、私たちは彼を責めるために罪を犯してしまうことになる。そうなると、今度は、定義がその前を転がりはじめた何者かを追うために、転がりだしたという可能性にも考慮せねばなるまい。では、いっそのこと、彼らを認める法律を作ってしまうのはどうだろう。しかし
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