善良なる定義に関して/ただのおと
 
かし、あるいはこんな場合も考えられるのではないか。
 もしも、定義の先天性の欠陥が、罪を犯すというものであったとしたら。定義が、上に転がっていくのを見て、私たちはもしや彼が自分を責めているのではないかと思ってしまった。その解決のために不正な法律を作ってしまったら、彼は自分の欠陥が不正に加担したことをより重大に責めてしまうに違いない。おそらく私たちが大罪としているのは、自分を責めてしまうことである。善良なる定義が、罪を犯しつづけることによって自身の欠陥を責めてしまっているという事実を、私たちは善良なる不正として赦していく必要がある。一方で私たちも、その不正を赦すことで不正に加担してしまう自分を、善良に責めてしまう存在であるが故に。(拙文「」より)

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