母が壊れてしまったあの日から/健
う会話があったのかはわからない。
しかし、母のためを思うならば、私は一緒に暮らしたままの方が良いということはわかっていた。
それでも当時の私は、これ以上「自分の中で壊れた母」と同じ空間にいることに耐えられなかった。
決して楽しいとは言えない予備校生活であったが、学年で言えば一浪生と同期で奇跡的に志望大学に合格。
自身の鬱状態は簡単には改善せず、不安定な日々では続いたものの、どうにかこうにか講義を受け、週に3、4回は部活動へ顔を出していた。
それなりに充実した大学生活だったと言えるかもしれない。
そんな二回生の冬、母は突然の癌宣告を受けた。すい臓がんであり、見つか
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