長い失読の状態について/道草次郎
 
十二年、娑婆へ出てみたがその後行方知れずというそれだけの小文だ。

こういう話の持つ力の前では、色々な「もの」や「こと」のカタチ〈輪郭〉がはっきりとしてくるのである。人生とは何なのか、がはっきりとしてくるのではけっしてない。人生とは何なのかと問うことを自らに許すことのその罪の深さそのものが、より、際立つと言う方がただしいように思われる。

これは、別の言い方をすれば、読むという行為、もっと言えば、「読む」態度の自覚の深まりとも言える。

つまり、こう言うことだ。人生とは何なのかということを考えることの罪深さを徹底的に自覚させてくれる読み物しか、今の自分には読めない。そして、そういう読み
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