神聖なる合コンの話 (序 その一)/道草次郎
 
る。
 
 それにしても、いかに多くの人がその胸の内を語らずに時を過ごしていくことだろう。内にとどめたものはそれはたしかに蠢いているに違いない。それはその人の中でそうなのであり、それで十分事足りるならばそれが何よりな気もむろんする。
 まったく、どうやっても人間というのは自分の持ち前のものから脱皮して蝶になろうとはしない。蝶になると死んでしまうような気でもするのか。いや、この蝶という喩えは芸術表現の優位を言っているのでは全くない。蝶になる、とはすなわち、その者がその者の内なるうごめきの蛹から羽化することである。しかしながら、ここで一つおおきな疑問符が歩いてくる。

 そしてぼくの肩を後ろ
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