眉のあたりにすずしさの残る少女みたいに/須賀敦子とその「詩集」について/渡邉建志
 
は宗教について書かなかった。それどころか、神と自分との関係を文学として書いてしまうことは、はずかしいことだ、それは逃げなのだ、という激しい嫌悪感をあなたは示した。最晩年、あなたが宗教について、これまで試さなかったフィクションという形式で小説「アルザスの曲りくねった道」を書こうとしたときに、それがどのような形を取ることになったか、わたしは見たかったような気がするけれど、それはやっぱり、主人公の独白のようなかたち(たとえば、神の沈黙を問うような)をとることなく、話者の「わたし」が主人公の修道女を観察し、彼女の行動、表情やそぶりを回想しながら描写するかたちをとっただろうと思う。じっさい、遺された小説の未
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