眉のあたりにすずしさの残る少女みたいに/須賀敦子とその「詩集」について/渡邉建志
 
返すのも、ページを改めたからもう一度言いたかったのかもしれないけれど、やはりリヴィアという名前が好きだったのだろうと思う。私が打った読点(「リヴィアは、」)は編集では打たれていない(紙の染みだったのかもしれない)が、「?、灰、緑」のときの黒い丸い小さい点と、同じ形をしている。私は、これは読点だったと信じたい、スペースや改行では表すことのできない、走り出した須賀の足取りを、読点で速く息継ぎしたのだと私は信じたい、そうでなければリヴィアを二回繰り返すことの意味が、減ってしまう。
この、単に同じ言葉を繰り返すということから生じるリズムは、なんだろうか。頭韻や脚韻と言ったものからはるかに遠い、衝動的な、
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